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お昼だあキョッキョッキョー

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ニコロビンお昼ごはんなーに⁉️スパゲッティ食べようキョッキョッキョー‼️
茂木健一郎さんからメッセージ‼️『
三四郎』はとてもよくできた小説で、ぼくはおそらく20回くらい読んでいるが、広田先生のことは、本当によく書けていると思う。三四郎は、東京に行く列車の中で、広田先生にあって、「頭の中の方が広い」と言われて衝撃を受ける。それまでの自分は卑怯であったと、気付かされるのである。

ところが、三四郎は、東京に行ったら、「このくらいの男は到るところにいるものと信じて」、広田先生の名前さえ聞かない。そして、東京に出て、東京帝国大学の授業を聞き始めるが、どうも面白くない。その頃になって、ようやく、列車の中で会ったあの人のことを、思い出し始めるのである。

広田先生が、「偉大なる暗闇」と名付けられるくらい、学識も人格もすぐれた人であるのに、当時の世間の相場から言えば上だった大学の地位についていない。そして、大学の授業はつまらない。このあたりの批評性、そして社会というもののあり方についての漱石の目は、恐ろしいほど鋭い。

おっちょこちょいの与次郎が、余計なことをして、広田先生に大学の地位を得ようとするのだが、当然のことながら失敗する。広田先生のように、世間に認知されずに、埋もれている賢人は、いつの時代もいるのだろう。私は、なんとはなしに、友人の塩谷賢を思い出してしまうのだが。

また、広田先生は、「知性のある人はかえって社会に不適応になる」という一般命題の点からも忘れがたい。知性は本来社会への適応度を増すはずだが、行きすぎると、かえって不適応になる。あたまが良すぎるのも、考えものである。中くらいの頭の良さが、本人にとっても一番幸せなのかもしれぬ。

『三四郎』は、よくできすぎていて、漱石の才能の凄まじさに驚くばかりだが、伏線の張り方も絶妙だ。20回読んでいても、読む度に新しい発見がある。これは一つの絵画が完成する小説だと気付いたのは、10回目くらいだったかな。そう考えると、美禰子との出会いからラストまで、一貫している。